2012年 02月 13日
DRACのOB、といっても在籍は1年くらい。その後ポップスのクラブにうつった栗花落光(つゆりひかる)さんは、いまや音楽業界で知らない人はいないくらいの有名人。
彼へのインタビューがMusicmanという、音楽業界専門サイトで始まりました。 DRACのことは一言もふれていませんが、一度は同じ釜のメシを食った仲として、スポットライトが彼に当たっているのを見るのは、うれしい気持ちです。 http://www.musicman-net.com/relay/102.html #
by DRAC-OB
| 2012-02-13 23:12
| K介
2012年 01月 27日
ブログでお世話になっている方がブリリアントレーベルが発売したヴィヴァルディBOXについて書かれていたのを読んで、同じく小生も入手した。
時代が変わり、過去発売になったプラスチックケース入りから、紙ジャケットになったので、40枚と言ってもさして大事ではないが、それらを入れた紙の箱が、効率だけを考えて作ったのか、開けると中身が滑って零れ落ちてくるから、必用な番号のものを選び出すのにはそうとう苦労する。 それで箱からはみ出すが操作性がよいので天地を左右におきかえてみた。 これで必要なナンバー枚が取り出しやすくなったが、パラパラとめくるのでは数字が見えないから、ピックアップしなくてはならない。 安価だから致し方ないのだろうが、枚数の多いBOXの場合は取り出しやすく造っていただきたいものである。 紙」ジャケのBOXはこのあたりが考慮されてないものが多い。 プラケースは場所は取るがそういう意味では作業性が良いので、どちらが良いか悩ましい所だ。 BOXの後半10枚程度は未聴だ、というのもすでにヴィヴァルディ宗教音楽集ERATO盤を入手していてそちらを主に聴くことにしているから、ブリリアント盤はもう少しあとまわしになる。 それらを除くとほぼ1回以上聞いたことになるが、中でも特にお気に入りの音盤を上げておくことにした。 10枚目に収録されている、マンドリン、リュートの協奏曲集である。 マンドリン協奏曲は、ERATOのシモーネ盤がお気に入りで、愛聴盤としたが、個の演奏もなかなかのもの。 ピリオドスタイルの特長である使用楽器もそうであるが何しろテンポが速く、体感速度はシモーネ盤の倍ぐらいは有ろうかというもの。 しかし早いテンポで通しているのでなく、ロマン主義的演奏スタイルの特長でもある、自在なテンポ、ルパートの匠、そしてマンドリン協奏曲では特に顕著だが、自由奔放な装飾。 やり放題というべきか、しかし付けられた装飾音符、随所に見られる即興は見事というほかない。 シモーネ盤が古典的な演奏に聴こえてしまうぐらい、革新的である。 最近は過激なほど演奏が多い中、今まで耳にしたピリオド演奏の中でも特に斬新な演奏スタイルである。 自由奔放な装飾音符をふんだんに入れた即興の匠に仰天するとともに、祖の巧みな技と感性に感銘を覚える事となった。 ハラハラドキドキワクワクという間隔が終始持続していくのは非常に気持が良い。 RV532は「2つの」バイオリンでも演奏されるが、ここでのマンドリンの演奏は「掛け合い」という範疇をこえているようだ。 聴いていて小生はブルーグラスのセッションの場面を思い浮べていた、それはビル・モンローとアール・スクラッグスが技を競い合うところ。 うろ覚えだが、どちらかが先ず演奏すると、まったく同じように次が演奏する、するとお前なかなかできるな、じゃあこれはどうだと、すこしむずかしいフレーズを交互にやる中、だんだんエスカレートしていくが、どちらも弾きこなしてしまい両者勝負なし、観客は両者の凄腕に圧倒されっぱなしというわけだ。 クラシック音楽で、掛け合いという程度ならば随所に見ることが出来るが、技の競い合いのような演奏は滅多にないだろう。 いや、ヴィヴァルディの時代には、実際に技の競い合いあるいは技の勝負があったのではないだろうか。 ただ音楽を聴くだけでは物足りない貴族たちが、どちらが上手か、ひょっとしたら賭けがおこなわれていたのかも知れないなどという妄想がうかんでしまった。 こういう演奏スタイルはシモーネ番では聴こえてこなかったこと。 しかしシモーネ盤はそれはそれで安定した・・・予定調和的な演奏だ。 シモーネ盤は心静かに聴くことが出来るから眠りにつくときにもよいが、この演奏は眠気を吹きとばしてしまうトンデモ演奏だから、そういう聴き方をするとひどい目に合うことだろう。 #
by DRAC-OB
| 2012-01-27 21:22
| sawyer
2012年 01月 23日
何気なく購入したものが愛聴盤になることはそう珍しくはなくなってきた。(このような意味のないジャケットの音盤、通常なら絶対購入しない。BONSAIシリーズとは、弱小だか価値が高い・・「山椒は小粒で・・・」を表すのだだとは思うが、あまりにもプアーでチープすぎ、しかもまんま盆栽の写真だから目も当てられない)
音楽ソフトの価格が相対的にも、絶対的にも安価になったので、昔のようにすごく吟味してから購入することが少なくなり、いつ購入したかも忘れてしまった音盤の中に、素晴らしい物があるのを経験する機会が増えてきたように思う。(と言いつつもこのCD2500円、まあ当時は其れでも安価な方だったのかも知れない) ネットの紹介などを見て、ちょっと目に留まるものがあると、じっくり考えもせずに購入ボタンを押すようになって久しいから、思いもしなかった素晴らしいものにめぐり合うことが可能になるチャンスが多くなってきたのだろう。 ネットでの音盤購入は音盤の価値を自ら下げることにつながるが、一方かつて無い偶然的発見の楽しみを内包しているのも事実だ。 「マンドリン」というあまり身近ではない楽器に釣られたのか、いつ購入したのかも忘れてしまった音盤がある。 去年11月頃、ふとそれがあるのに気が付き聴いてみると、昔聞いた時の記億とは全く異なる印象を持つことになった。 2つのマンドリンで奏でられる協奏曲ト長調、この曲は他にもギターやバイオリンなどの楽器で演奏され、耳に馴染んだ曲だが、マンドリンで聴いたのはこの音盤が初めて。 記億では2つのマンドリンが同じように聴こえて、しかも「焼き直し」的な音楽としてしか認識しなかったので、つまらない音楽に聞こえてしまい、おそらくはそのことで20年以上しまいっぱなし状態になっていたのだろう。 しかしこれがとんでもない誤解、耳が収斂されてなかったのか、2台のマンドリンハ音色も引き方も相当な違いがあり、それが掛け合いをしながら進んでいくのだから、また両者の位置が見通せる素晴らしい録音、マスタリング甲斐があって、演奏録音どれをとってもとても素晴らしい音盤となっているのを発見した。 協奏曲ハ長調P16では、空気で風を送っているような不思議な低い音が聴こえてきた。 初めて聞く音で、何かと調べると、「サルモ」=「シャルモ」=「シャリュモー」だと言う。 クラリネットの前身だそうだが、不思議な音色の百鬼夜行だ、それにこの曲にはマリーナ風バイオリンというものが使われている。 マリーナ風とは「海の波のような」ということであろうか、バイオリンなどのフラジオレットのような奏法で、倍音のみを奏するという、この時代は様々な楽器や奏法が百花繚乱した時代であったことを思わせるもの。 「マンドリン」といい「マリーナバイオリン」、「サルモ」、「テオルボ」など異種の楽器の巧みな活用、、ヴイヴァルディという人は「四季」だけで知っている人ではないことを思い知らせる感性の持ち主と、改めて思い知った。 良く眺めてみると、小生の所有する音盤は、バッハよりヴィヴァルディのほうが倍ほど多い。 多分クラシック愛好者では珍しいかと思うが、ヴィヴァルディの感性は小生によく合っていて、それで結果音盤が多くなったのだが、一方バッハは還暦を過ぎてからじっくり聞こうと決めていたせいもあって、これ迄積極的には聞いて来なかった。 でもやはり小生には、バッハよりヴィヴァルディの「あっけらかん」が魅力的だ。 2012年は更にヴィヴァルディを極めて見ようかと思っている。 #
by DRAC-OB
| 2012-01-23 20:32
| sawyer
2012年 01月 23日
調整中のESLでああるが、耳の高さより中心部がやや低いから、やはり少し持ちあげたい。
台になるものを物色したが、多分一番良くマッチングすると考えられる木製の、しかも黒檀、紫檀のブロックの適当なものがない。 10㎝角だと相当の金額を投資しなければならないことになるが、もし失敗するととんでもなくもったいない。 それでもう現有品ではなくなったが、二種類あった専用台のいずれかがオークションか中古で出たらあてがおうと決めた。 何時の事になるかわからないので、繋ぎとしてやれることをやってみようと思い、手始めにSPを仰角設置することを思いついて実行にうつした。 どのくらいの角度が良いのかは志向作顔、と言うよりあまり上げ過ぎるとSPが後ろに倒れる危険性があるから、ほんの少し、という訳で角度は不明である。 SPの前2つの脚に昔のTAOC製のインシュレーターを挟み込ムのだが、平面SPのため一人の作業は結構難しい。 それでもようやく仰角に設置ができ、只今慣らし運転中。 それと付属の電源ケーブルを、太くて短いものに交換してみた。 極端に変化があるものではなかったが、(壁の中の電気ケーブルには現状で使える1番太いものを使用してあり、壁コンセントから電源供給していたから、多分もともと電源の影響は受けにくかったのかも知れない) 結果として、以前よりボリューム感が出て低音が締まってきた。 中音域に艶が乗ってきた。 反面音の定位感は少し甘くなったような気がする。 左右の角度は変えてないので何れコレもベストを捜さねばならない。 コニサーソサエティ録音のワンダ・ウィウコミルスカがバイオリンを弾いたブラームスのソナタが以前とは違う趣を見せ、テクニックの未熟さをがまともに見えてくる反面、バイオリンノ音色はクレモナの銘器を彷彿とさせる音で聞こえてきた。 古いDECCA録音、カラヤン/VPOのドヴォ8はVPOの弦の美音がとてもよくわかる。 今まで音の影に隠れてしまっていた音楽以外の様々な音(つぶやく、うなり、掛け声、楽譜をめくる音、息継ぎの音、呼吸音などなど)がよく聞こえ、一層の雰囲気を出すことにつながってる。 こういう所がESLにのめり込む要素の1つであることは間違い無いだろう。 音がリアリティがありライブ感がある、ソレがESLだといって過言ではないと思う。 まだまだどんどん日がな良くなっていくことを期待するものである。 #
by DRAC-OB
| 2012-01-23 20:29
| sawyer
2012年 01月 21日
2012年1月20日(金)19時15分すみだトリフォニーホール(座席1階2列27番)
<公開リハーサル:1月18日(水)10:25~12:40> 指揮:ダニエル・ハーディング 新日本フィルハーモニー交響楽団 コンサートマスター:豊嶋泰嗣 マーラー:交響曲第9番 ニ長調 全体に感情移入があまりないあっさりとした演奏に終始した。昨年6月のブルックナーの交響曲第8番、マーラーの交響曲第5番の忘れがたい名演と較べ、どこか醒めた、盛り上がりに欠ける内容だったのは、残念だ。 ハーディングも新日本フィルも、いい演奏をしようと努力したはずなのに、それが表に出てこなかったのはなぜだろう。 昨年6月の名演の数々は、東日本大震災直後の異常事態のなかで生まれた一期一会のものだったのだろうか。 当時は被災者のためのチャリティーという使命感がハーディングにも新日本フィルの楽員にも、聴衆にも満ちていた。コンサート終了後は毎回ハーディング自身が先頭に立って楽員と共にロビーで募金活動をし、聴衆もそれを熱烈に支持、次々と募金箱に寄付金を入れていた。原発事故の異常事態が続く中、音楽が特別の意味をもった時期であった。 あれから半年あまり経ち、表面上は落ち着きをとりもどし、ハーディングも新日本フィルも聴衆も、いわば素に戻ったのではないか。音楽が日常化してしまった。当夜、会場に漂う熱気というものは感じられなかった。指揮者も楽員も、そして聴衆も、音楽に対して真剣さ、ひたむきさを見失ったことから生まれた凡演というのは言い過ぎだろうか。 第1楽章は、何が言いたいのか、どこへ向かうのか、よくわからないうちに、終わってしまう。三回のクライマックスは唐突で、前後の脈絡がない。ただオーボエとフルート奏者の名演とコーダの静寂はよかった。 第2楽章の最初の舞曲のリズム、独特の弦の表情付けが面白い。ホルンはこの日時々音をはずし不調だったが、この楽章では輝きのある演奏を見せた。木管全体、チェロ群もよい。 第3楽章はリズムの切れがあり、一番出来がよくまとまっていた。公開リハーサルでは、この楽章にほとんどの時間を割いていた。 第4楽章アダージョでは緊張感が保たれた。弦の集中度は高く、アダージッシモの最後の和音が消えてから30秒以上の静寂。この部分はやはり感動する。席が第2ヴァイオリン群の目の前であり、フェルマータの最後の微細な一音まで、明瞭に聴き取れたこともその要因だと思う。ちなみに、第2ヴァイオリンのトップは今回東京交響楽団のアシスタントコンサートマスター田尻順さんが務めていた。 今夜は後半に向かうにつれ、集中度は高まったが、忘れ得ぬ名演の域には達することができなかった。 #
by DRAC-OB
| 2012-01-21 23:12
| K介
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